もともとは野球部でした。

私のスポーツ歴は、小学校3年生からはじめた少年野球です。
当時体が小さく病弱だった私を、少しでも強い体にする為に祖母が薦めてくれました。
その頃私の住んでいた地域で、はじめられるスポーツと言えば、男の子なら野球・サッカー・水泳。女の子ならバレーボール・バレー・水泳が程度でした。
近所の公園で男の子達が良く、野球やサッカーで遊んでいる姿を良く見かけました。
当時も球技は禁止されていたと記憶していますが、今よりは寛大な時代だったのか、近所の家にボールが飛び込んだ場合でも、「ボール入ったので取らせてもらいます!」と独り言のように大声で言いながら、他人の家の庭先等に勝手に入ってボールを取り、ボールを取ると「ありがとうございました!」と走り出て、すぐに続きをしていたものでした。
当時土曜日は午前中学校がありましたので、少年野球の練習は毎週日曜日しかなかったので、それ以外の日は公園に行き、野球等をして遊んでいました。
私が所属していた少年野球チームは弱く、いつも負けてばかりいました。特にとなりの小学校チームが強く、練習も毎日のように放課後練習されており、余りの実力差に子供ながら「俺って野球に合ってないよな?」と思っておりました。
そんな事もあり、中学校へ入学後は友達の誘いで柔道部へ入部しました。

中学校入学当時の私の身長は、160cmあるかないかの身長だったと思います。学生服のサイズが8号だったのを記憶しています。
柔道部の先輩の中には、身長180cm程ある先輩や体重80kg以上ある先輩もおられ、圧倒的な体力差を感じました。
結構強いチームでしたので練習もきつかったです。
腕立て伏せをしろと先輩に言われ「何回ですか?」と質問すると「100回。」と言われ「冗談言ってはるわ」と思ったのですが、本当に100回でした。しかも連続で100回です。
他の同級生部員に負けたくないという気持ちもあり、必死に頑張ったところ、腕立て伏せ連続100回出来ました!
100回も連続で腕立て伏せをやると、全身汗だくで目の前の畳には汗溜まりが出来ていました。
当然その他の柔軟や乱取り等もあります。それが毎日続きます。腕立て伏せ連続100回もすっとこなせるようになったある日、先輩が「腕立て伏せの回数増やすぞ!」と。
私が「何回ですか?」と聞くと、「150回!」。
今度は冗談とも思わず、本当に150回やりました。

そんな練習をしていたある日、先輩の投げ技の型を固める為に、無抵抗で投げられている時、先輩のちょっとしたミスで、一本背負いで頭から畳に叩きつけられました。
その瞬間、漫画でよく見るように星が散りました!
あれは実体験だったと言う事を、身をもって知りました。
咄嗟に立ち上がったのですが、フラっとして倒れてしましました。気絶はしなかったのが唯一の幸いです。
気絶していたら、スポンポンで寝かせられていたそうです。何故スポンポンにするのかは、今でも意味が分かりません。
頭から落とされ気絶し、スポンポンで寝かせられている姿を想像すると、面白いのは面白いですが本人たまったものではないです。
練習は放課後、近隣の道場での練習に参加しなければならない事もあり、体力的に相当大変でした。
そんな練習になれてきた冬頃に、柔道部を退部する事にしました。
理由は案外単純で、高校になったら絞め技・関節技もOKになるという理由でした。
特に絞め技がOKが辞めた理由です。首絞めOKってね〜。あかんと思いました。

冬頃に野球部へ入部しました。
季節は冬。野球のオフシーズンでしたので、ボールを持たず、日々走ったり柔軟したりの繰り返し。。。
春になったら、とてつもなく速い球が投げれるようになってました〜!
柔道部での柔軟と、背負い投げの動作が野球のボールを投げる時の筋力アップになっていたのと、野球部での柔軟が役にたった瞬間でした。
元々コントロールは良い方でしたが、球速は遅かったです。
そんな私が久しぶりに投げた球が、とてつもなく速い球を投げれるようになってましたが、今までとの球速の違いにまったく制御不能でした。強肩ノーコンの誕生です。

でも、私の中学1年生の1年間、がんばったと思います!

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